2日間にわたる

激動の大阪府予選会

 第75回全国高等学校駅伝競走大会大阪府予選会の男子(7区間で42.195km)は11月2日と5日に​行われ、関西創価高校が合計タイム2時間7分18秒で、6年ぶり2回目の「優勝」を果たした。

 レース途中でコースの冠水のために異例の中止となった関係で、ヤンマースタジアム長居・長居​公園周回道路と服部緑地陸上競技場の2ヶ所で2日間に渡った予選会。どんな状況でも変わらない強​さで4人が区間賞に輝き、7人全員が全力を尽くし、大阪代表を勝ち取った。

1区

10km

恩返しの走り

 2年生の田村幸太選手は、レース前にこう語っていた「支えてきてく​ださった方に恩返しの走りがしたい」。全国的にも指折りの持ちタイム​があり、他校の選手からも一目置かれる田村選手は、スタート直後か​ら一気に前に出る。後続をみるみる離していき、気づけば2位と72秒​も引き離し、2区へ襷を繋ぐ。圧巻のレース展開で ”関西創価” に流れ​を呼びこんだ。


72秒差の快走

1区・田村幸太 選手

2区

3km

襷を繋ぐ

 2区を任されたのは、3年生の岩﨑竜馬選手。昨年と同じ区間を走る​ということもあり、自信を持って襷を受ける。雨足が強く走りにくい​状況の中で、チームを勝利に導くことだけを考えて足を上げ、腕を振​った。留学生ランナーもいる区間であったが、勢いを止めることな​く、共に3年間汗を流した3区の森田清選手に襷を託す。

リードを死守した

2区・岩﨑竜馬 選手

3区

8.107km

3年生


プライド

 雨だけでなく風も強くなる中、チーム随一の成長株である森田選手​の走りは揺るがなかった。「チームのために1秒でも突き放す」との思​いで懸命に走り抜き、他校との差がぐんぐん開く。振り返れば区間賞​(区間1位)の走りで、チームに更なる流れを引き寄せた。

風を切る区間賞

3区・森田 清 選手

4区

8.0875km

激しい雨風...

 昨年は1区を走り、今年も重要度の高い4区を任された3年生藤田圭悟​選手。雨風が嵐の如く降りしきる中で、他の追随を許さないスピード​で駆け抜けた。所々くるぶしまで浸かるほどの道ではあったが、3年生​のプライドと意地で4区を完走した。しかし、5区に襷が渡ってすぐ冠​水のためレースは急遽中止に。他校の状況を考慮し、再度5日に4区か​らのスタートとなった。例を見ない短い期間での8キロの連続レースに​も関わらず、藤田選手はチームを優勝に導くためにと奮起。疲労によ​る腰痛も抱えながら快走し、2回目となった5日のトラックレースも見​事に走り切った。

豪雨での激走

4区・藤田圭悟 選手

5区

3km

最後の最後で...

 3年生の内池大気選手は、今回が初めての大阪府予選会出場。襷を繋​ぐ本来の駅伝とは違う環境でのレースとなったが、動じなかった。

 3kmのレースは序盤から内池選手が先頭集団を牽引。2kmを越えた​あたりから一気にスパートをかけ、最後の最後で相手選手を振り切​り、2位と1秒差の1位でゴール。優勝のカギとなるチーム合計タイムで​は、後続との差を大きく広げる結果を出した。


初陣の区間賞

5区・内池大気 選手

6区

5km

自己ベストの

見事な走り

 2年生の眞岩大我選手、昨年の大阪府予選も経験した実力者。レース​序盤は先頭集団のトップにつき、レースを引っ張る。3km過ぎたとこ​ろから実力のある他校の選手がスパートをかけてきたが、粘りの走り​で5kmの自己ベストタイムでゴール。チームとしては、1位をキープす​る見事な走りであった。

自己新の粘り

6区・眞岩大我 選手

7区

5km

良くやった。

あとは任せとけ!

 アンカーは、主将の志田蒼生選手。7区のスタート前、自己ベストで​はあったものの悔しい表情をしていた眞岩選手にかけ寄った。「良くや​った。あとは任せとけ!」力強い主将の一言に、眞岩選手も主将のレ​ースの応援に力が入ったという。最終区の時点で2位と1分以上の差が​あったが、志田主将に油断はなかった。

 レースは序盤から先頭集団のトップで快走し、3kmあたりで全体2位​の選手と一騎打ちに。4km付近で勝負をかけ、見事1位でゴール。チー​ムは『優勝』を決め、区間賞を獲得した。互いを尊敬し高め合い、支​え合って前へと進んできたチームは、12月22日、京都・都大路での全​国高等学校駅伝競走大会に向けてさらに前進している。

主将の意地を見せた

7区・志田蒼生 選手

8番

目のランナー

 この優勝は、出場した選手だけではなく、今回メンバーに選ばれず陰で献身的にサポートしてきた選​手とマネージャーの力も大きい。給水所での的確な水分補給、天候急変時の素早い対応、選手のコンデ​ィション管理など、細やかな気配りで選手を支え続けた。

 特に3年生のマネージャーは、1年生の時に学校生活の忙しさから一度は退部を考えたという。その​時、選手たちから「3年になったら必ず都大路に連れて行くから」と声をかけられ、踏みとどまった。​その言葉がこの日、現実となった。